おでん屋さん

どんな成り行きだったかは覚えていないが、夕暮れ迫るころ、父の友人で某新聞社に勤めるA小父さんに連れられて新橋のおでん屋さんに行った記憶がある
A小父さんは、えらく子供好きで家に遊びに来て父とお酒を飲む時でも、私を膝の上に乗せて離さず、いろいろ話しかけ、頭を撫でたりして可愛がってくれた
私は、私の好きな物をいつも買ってきて優しくしてくれるA小父さんにちょっと一宿一飯のような恩義を感じていて、膝の上でおとなしくしていたが、実はとっても退屈で早くそこから逃れたいのが本音だった
A小父さんは酔うと「どうだ…長谷川一夫よりおじさんの方がハンサムだろう?」と言うのが口癖で、実際、職業柄のちょっと熟なれたハンサムな人だった
奥様は”ミス…何とか…”と呼ばれた綺麗な人で美男美女のカップルだったが…子供はいなかった
「仲が良すぎて出来ないんじゃない…」と構われたりしていたが、
A小父さんは「いや…良いんだ、良いんだよ…いなきゃいないで良いんだよ」と手を振りいつも他の話をしだした
"子無きは去れ…”などと言う封建的な風潮がまだ残っていた時代
それは奥さんを庇ってるような…そんな気がした
そんなおじさんに手を引かれ新橋駅前の小さな飲み屋さんに連れて行かれた
その店は小さな店が寄り合うように建つ一角で横丁を入り、狭い路地を右に左に曲がったおでん屋さんだった
女の人が一人でやってる5,6人も入ればいっぱいになりそうなカウンターだけの小さな店で「いらっしゃ・・・」と振り向いたお姉さんは私を見ると「あら!…」と顔を輝かせて、
A小父さんに「どこの子さらって来たの…どっかに隠してたの」と睨んで見せた
おじさんは訳あり気に笑って「俺の子だよ、よく似てるだろう…」と返し、私を座らせると好きそうなおでんを頼んでくれ、おでん屋のお姉さんもカウンターから出てきて無口で恥ずかしがり屋の私に飽きずに遊んでくれた
トイレは二階にあり急な階段をお姉さんに支えられて上った
二階には四畳半ほどの部屋があり、壁には洋服が掛りちゃぶ台と御座布団が敷いてあった
この横丁には共同のトイレがありお客さんは皆、そこを使うようだったが、子供の私には特別二階を使わしてくれたようだった
A小父さんはソフト帽をあみだに被って上機嫌でお酒を飲みご満悦だった
A小父さんが子供を連れてきてると聞いた近所のママさん達が変わりばんこに顔を出してたくさんのお菓子を貰った、A小父さんはこの界隈の複数のお店のお客さんだったらしく皆と知り合いだった
あの頃の大人はみんなしっかりと大人で子どもに優しくて、その時もいろいろなママさんに「可愛い…」とその豊かな母性に抱き締められ、あやされた記憶がある
今は子供と対等の未熟な大人が多く、物を貰ったから言う訳では無いが、あの頃の大人の包容力ととどこか違うような気がする
子供を育てた経験の無い私など年端の行かない子供と二人きりになるとどう接したらいいか解らなくてかえって子供に気を使わせてしまう方で未熟な大人の筆頭であるわけで…その時のふくよかな大人の女の人達を思い出すのである
その後、どんなふうに帰ったかは記憶にないが子供心に不思議な体験だった
新橋の闇市から小さな店が建ち並ぶ飲み屋街になったその場所も今は「ニュー新橋ビル」というビルに建て替えられその頃の面影は何もない
A小父さんも、疾うに亡くなって、私の頭の中の記憶だけになった
新宿西口の思い出横丁やゴールデン街はその時の思い出と重なって妙に懐かしくて、密かに思い入れるものがあるのだ
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                           ペーソスあふれる「木村荘八」の絵


                             043.gifみんな優しかった…
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by time2022 | 2016-04-19 06:53 | 日記

2017年 11年目の海辺暮らしとなりました       黄昏て70才 撮りためた写真でその時思った事、今思う事等を、書き綴っていきますブログ内の写真イラストの使用を禁じます

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