記憶

お正月番組で久しぶりに山口百恵の歌う姿を見た…私はテレビの前に座り込み、ある少女の事を思い出した

私がまだ小さい頃の事である
まだ各家庭の電話の普及率が万全では無く、電話のある家は緊急の場合など近所の電話の取次ぎを頼まれていた
日常的に電話が掛って来る家もあったが、時たま交流の無い家への電話があったりして、ちょっと歩いても呼びに行ったりした
その頃は相身互いで助け合うのが普通だったのだと思うが、知らなくていい家庭の事情まで知ってしまったりした
その時は、Aさんの家の人を電話口に呼んでほしいと警察から連絡が入り、母は煮物の火を消して、慌ててAさんの家の人を呼びに行った
警察の名を明かして呼び出しを頼むなんて今は考えられない事だが、電話は実は初めてではなく、慌てて駆け付けたAさんのおばさんがこれ以上頭が下げれないほど電話機に頭を下げているのを、私が廊下から見ていると、母は私を部屋に引きづり込んで障子をぴたりと閉めて電話を聞かないようにしていた
電話が終わると「すいません、ありがとうございました」と声がかかり「奥さんちょっと…」と呼ばれて母は何も無かったように出て行くと、事情をちょっと聞かされて近所に言わないでほしいと口止めをされていたらしかった
それは、Aさんの娘の長女である”お姉ちゃん”が警察に補導されているので保護者に来て欲しいという警察からの連絡だった…と思う
おばさんが帰ると「ねえ…お姉ちゃんがどうしたの?」と母にくっ付いてまわったが「大人の事ですよ…子供が知らなくて良い事なの!」と相手にされなかったが、今思えばあ~そうだったのかと思える事がある
子供で深く理解ができなくても、何となく近所の噂やらで薄っすらと訳は感じ取っていたと思う
“お姉ちゃん”とは中学を出たぐらいの年齢で切れ長の目で山口百恵が凄味を聞かせたような顔立ちで
「手が付けられないどうしようもない…年中喧嘩で警察に掴まっているらしい…」とか「娘の入れるお金で一家が暮らしているらしいよ…」とか、そんな様々な噂が近所で囁かれた
Aさんの家は“お姉ちゃん”の下にちょっと年の離れたちょうど私と同じぐらいの年齢の子が年子で男の子、男の子、女の子と3人いた
おじさんは何かの職工さんで洋服を着ているような手首から足首まである刺青をしており夏になると大きな木綿のパンツ一枚で家の前に縁台を出して隠す風も無く背中を向けて涼んでいた

夏の暑い盛り、家の前で盥に水を入れて弟妹たちを裸にして水浴びさせてる“お姉ちゃん”の後姿が見えた
私は道路の端っこを歩きながらキャッキャキャッキャと燥いでる弟妹たちを見つめていると、“お姉ちゃん”が私を見て手招きをした
私は吸い寄せられるように躊躇う事なく歩いて行ったと思う
大人の中で育った私は、きっと遊んで構ってもらっている子供たちの姿が羨ましかったのかも知れない
“お姉ちゃん”は私のパンツの裾にスカートを挟み込んで濡れないようにして、縁台に座らせ盥の中に足を入れて足をきれいに洗ってくれた
そして足の裏をクチュクチュと擽ったのでキャッと肩をすぼめてもっと擽られたので、普段出した事の無いような声でキャ~キャ~と燥いだ
そしてみんな盥に立たされて水を掛けられたり擽られたりされて構ってもらって、私も弟妹たちと一緒にキャ~キャ~燥いで騒ぎまくった
やがて「はい終わり!」って“お姉ちゃん”が片付け始めたので、盥から下りると、私を抱え込むように腕を回して足をきれいに拭いてくれた、その時“お姉ちゃん”からとっても好い匂いがして大人の女の人の感じがした

Aさんの家と近所とは何か少し距離があり、親しく付き合ってる家はいなかった
戦後まだ十年も経たない頃で急速に復興が進んでいて、焼け跡に小屋のような家が仮に建ち並び、以前から住んでいた住民との軋轢があったのかも知れない
私も同じくらいの年の子がいるわりには遊んだことが無かったが、その事があってから私は、弟や妹たちとたまにAさんの縁台で混じって遊ぶようになった
たまに家に帰ってくる“お姉ちゃん”とも顔を合わせた
そうするとアメリカの兵隊さんが着てるみたいなジャンパーから飴やガムを出して弟や妹の手に載せ、私にも隔てる事無く掌に載せてくれた
お姉ちゃんは微笑むけどあまり口を開けたのを見たことが無かった
チラッと見えると銀歯か…?何か歯並びが黒ずんで見えた
乱闘で前歯を全部折ったとかそんな事をもっともらしく話すおばさんもいた
ある時、母から「Aさんのウチに遊びに行ってるの?」と聞かれ「人のお家で物を貰って食べてはいけませんと言ったでしょう」といつに無く恐い顔で叱られ、行ってはいけないとは言わなかったが…それからだんだん行かなくなってしまった

夏祭りは、娯楽の無い頃で一大イベントだった
昼は子供たちの引く山車が出て子供神輿が出て、宵からは大人神輿が出てお囃子が鳴り響き一日賑わった
特に男も女も一緒に担ぐ混合神輿が人気で家の前を通る時はみんな家から出て見物した
私はその中に男に負けない勢いでお神輿を担ぐ“お姉ちゃん”を見つけて繋ぐ母の手にぐっと力を入れてた
目の上を真っ青にアイシャドウを塗って、いつもの“お姉ちゃん”と違っていた
細い肩に胸を潰すように晒しをギュッと締めて男に負けじと「ワッショイ!ワッショイ!」と荒ぶれるように担いでいた
やがて、家の前に立っていると“お姉ちゃん”が男の担ぎ手の人達に囲まれて帰って来るのが見えた“お姉ちゃん”は通り過ぎて行く時チラッと私を見たが無表情で前を見て男の人達に交じって歩いて行った
徐々に片付けられる祭りの灯りの中に消えていく背中を見えなくなるまでずっと見ていた

山口百恵がデビューした時…一瞬にして記憶の一端が蘇り、あれ?“お姉ちゃん”じゃない…と思ったが年齢的にそんなはずも無く、真っ青にアイシャドーを塗った顔を思い出していた…“お姉ちゃん”の影ある顔に良く似ていた
そのうちすっかり“おねえちゃん”の顔が山口百恵そのものになってしまい、今は実像は思い出せない
あの頃大人だと思った“お姉ちゃん”はまだ15,6歳の若さできっと大人より一回り小さかったに違いないが…
それからも警察から電話があり…決して口をあけて笑わないお姉ちゃんは確かに武闘派だったんだろう…

それから間もなくおじさんが仕事先の事故で亡くなり、消える様に一家がいなくなった
そして空家になった家が取り壊され、その前を通るたびに…こんなちっちゃな所にみんなで住んでいたんだなあと、子供心にも何か切ない思いをした
不良少女と呼ばれた“おねえちゃん”の弟妹を可愛がる子供好きの無言の優しい笑顔を想った
成人式の狂騒を見ていると、日本の平和も何か虚しい…
何かあの頃の人間と、今の人間て…質がまるで違うなあ…私には無口な“お姉ちゃん”は菩薩のようにさえ思えるのだ

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by time2022 | 2016-01-12 07:12 | 日記

2017年 11年目の海辺暮らしとなりました       黄昏て70才 撮りためた写真でその時思った事、今思う事等を、書き綴っていきますブログ内の写真イラストの使用を禁じます


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